しえりおりぱ日記(闘病編)

還暦過ぎの英語教師、カウンセラー。入院を機に始めてみたブログ。しえりおりぱ=しえり&いおりの半端なパパ。

自分にとっての幸せを改めて実感しました

前立腺がんの疑いが極めて大きい数値(参考:PSA値10.29/正常値4.0未満)で、生検を受けるため、2泊3日の入院をしてきました。
会陰部から太い針を14回も前立腺に打ち込み、組織を採取するというもので、検査というよりは手術の印象。
2週間後の結果を踏まえて、今後の対処を考えることになります。

今回の入院にあたって、いちばん心配してくれた相棒と子どもたち以外は、
「ちょっと組織を取るだけでしょ」「がんでも前立腺なら大したことない」
ごく当然のことながら、「あ、そうなんだ」という他人事の反応ばかりでした。

個人差はあるでしょうが、私の場合は実際に体験してみると、まさに「地獄」。
傷口の痛みや、濃い血尿が出るも理由の一つですが、尿道カテーテル。
前立腺肥大の私が苦手な強烈な尿意(に酷似した感覚)が、一晩中続くのです。

つまり、今すぐおしっこに行きたくてたまらないのに、行くことができない。
その感覚がまったくないのに、採尿バッグには十分たまっているからです。
さらに、翌朝に尿道カテーテルを抜くときは、激痛で唸りそうでした。

メンタル的には、ベッドから一切動けない、拘束された不自由さが「地獄」。
あの忌々しい尿道カテーテル(恩恵を理解しての悪態)と、点滴によってつながれているからです。
床に落ちた物も拾えない、冷蔵庫から水も取り出せない、上半身を起こすのも禁止。

一昨年のコロナ感染による一型糖尿病では、2週間の入院。
でも自由に動き回ることができたので、今回の3日間より気分的には楽でした。
超健康的生活の実践者として、まさかの糖尿病と前立腺の病気が続き、入院という不自由を通じて、気持ちが大きく変化しました。

1.食べて出して寝て、自由に動けたら、十分過ぎるほど有難いこと。
2.好きなことをして、たまにちょっと贅沢でもすれば、それが幸せ。
3.そばに寄り添ってくれる人がいたら、それ以上望むことはない

退院直後、相棒に言われたこと。
「それが改めて感じられただけでも、痛い思いをしたことが報われるよ、きっと」
感情的な人生を歩んできたけれど、弱い立場の人にやさしくありたい。

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さて、このブログはここでいったん休筆します。
しえりおりぱシリーズ(人生哲学編・闘病日記編・父親随筆編・小片小説編・HP「文武両道」)を通して、よく言われてきたことに対する回答をもって、締めくくりたいと思います。
「なんでそこまで、自分のことをさらけ出すの?」

1.わが子たちへのメッセージ。
2.自分なりに世の中を良くしたい。
3.実際はさらけ出し度10%程度。

1.わが子たちへのメッセージ。

自分のことで精一杯の若者が、親の書き残した文章など、読んでいる暇などないでしょう。
しかし私もそうでしたが、ある程度年が行ってふと立ち止まったときに、何の足跡もないよりはマシかもしれない。
その手段が私には文章しかないし、たとえその中の一文でも、かれらの人生に彩りを与えることができれば幸いです。

2.自分なりに世の中を良くしたい。

これは実にささやかな試みなのですが、外食のとき、私はあえて「糖尿病なので、ごはんは半分でお願いします」と理由まで伝えます。
私が教師カウンセラーとして寄り添う、見かけではわからない発達障害や不登校の生徒たちのように、「こんな特性の人もいるのだ」と認識してほしいからです。
病気、辛さや悲しみを抱える人に、より強く健康で若い人が、ごく自然に手を差し伸べる社会であってほしいのです。

3.実際はさらけ出し度10%程度。

「人生の全てを記録しても、CD-ROM1枚にもならない」
どこかで見かけた、そんな言葉が心に残っています。
病気のことも含めて、いくら自分をさらけ出したところで、それは人生の一部にすらなり得ない。

個人的なことは語らない秘密主義も自由ですが、私はお手本になれる人間ではないので、せめて見本(サンプル)にでもなれたらと考えます。
愛する娘と息子に限らず、何かの参考にでもなれば、望外の喜びです。

(了)

考えが一歩進んだかもしれません

昔、ある心理学の講演会で聞いた話。
一人の年配の女性が、講演者に質問をしました。
「いまでも父のことが許せません。ずっと恨んで生きてきました」

その講演者は、ひと言で答えました。
「たとえ許せなくても、『感謝』はできるのではないですか」
しばらく絶句したあと、その女性は号泣。

少なくとも彼女は、強く生きることができた。
あの頃と比べて、いま自分がどれだけ恵まれているか。
感謝なら、できる。

これを人ではなく、病気に置き換えてみたらどうでしょう。
「一病息災」(実際はニ病)で、食生活がガラリと変わりました。
その結果、今回の腫瘍マーカーを除いては、血液検査はすべて正常値。

前回、リンゴをひと口かじった部分を、病気に例えました。
それ以外の大部分、健康でツルツルな部分を見よう、と書きました。
今回は逆に、「病気そのものに感謝する」視点を書いてみます。

病気とは、何かのメッセージでは、と感じるようになりました。
「もっと休め」「睡眠をとれ」「ストレスを減らせ」「体の声を聞け」
「間違った生き方をやめろ」「正しい道に戻れ」「よりよく生きよ」・・・

そう考えれば、病気に感謝することさえできるのではないか。
治るとはいえなくても、少なくとも「癒える」ような気はします。
忌み嫌い、憎み、闘えば、その反作用が返ってくるのかもしれない。

先日参加した武術のセミナーで、ちょっと不思議な実験がありました。
「ばかやろう」など悪い言葉を声に出すと、技の力が弱くなる。
「ありがとう」など良い言葉を声に出すと、技の力が強くなる。

決して怪しげな話ではなく、物理的にその感覚を体験しました。
弱音を吐いて、病気を憂いてばかりいると、気分が落ちる。
口にする言葉は、なるべく良いものを選びたいと思います。

ガンで余命数ヶ月の女の子の恋愛を描いた、ある映画が印象的でした。
結末はなんと、男の子に会いに行く途中、通り魔に刺されて亡くなるのです。
最初はアゼンとして、やがて「これは深いかも」と思いました。

健康だろうが病気だろうが、人間いつ死ぬかわからない、運任せの綱渡り。
まさに今日、交通事故で突然あの世行きになるかもしれません。
凶悪事件に巻き込まれたり、自然災害で命を落とす可能性もある。

病気以外で死ぬかもしれないのに、気に病んで過ごすのはもったいない。
「いまここ」で自覚症状がなく、健康で自由に動けることを感謝したい。
そう考えられるようになった意味でも、「病気に感謝」したいと思います。

体は病んでも、心まで病む必要はない。
どうせいつかは、誰もが間違いなく、何らかの理由で死ぬのだから。

病気のときでも感謝はできるものです

前立腺生検(2泊3日)の、手術前検査に行ってきました。
半日がかりで、血液、尿、心電図、肺活量、循環器などの検査を受けました。
最後に泌尿器科の医師から、「大きな問題はないので、予定通り手術します」と告げられました。

さんざん待たされて、ヘトヘトだったのですが、ハタと気がついたことがあります。
前立腺の数値以外はすべて、「問題ない」という盲点的な事実。
健全に働き続けてくれている、他の何百という臓器に、まず感謝すべきではと。

ひと口かじったリンゴを見ると、どうしても欠けた部分に目が行きます。
でも視点を変えれば、残り9割の赤い部分は、ツルツルできれいなままです。
それを見逃さない自分でありたい、ふとそう思ったことでした。

子どもの通知表を見て、まず目に留まるのは、低い1や2だったりします。
一つでも5や、良好な3や4がいくつもあっても、普通だと思ってしまう。
人間の脳は、欠点や弱点に注目するようにできているみたいです。

対人についても、同じことがいえるでしょう。
離婚で全てを失った、何のメリットもない男に、寄り添い続けてくれた人。
それだけでも十分有難いのに、病んだ私はマイナス面に囚われてしまった。

家庭崩壊、経済破綻、精神不安定、不治の病。
それでも、子を連れ去った元妻と違って、彼女は決して逃げ出さなかった。
自分を棚に上げたフェアでない関係を反省し、改めねばなりません。

「人や物事の良い面だけを見ましょう。ポジティブに、プラス思考で!」
そんな単純すぎる発想の押しつけが、私は苦手です。
しかし逆に、病気など悪いことだけに集中するのもまた、極端だと思うのです。

新たなる病魔との共存?が始まりました

(つづく)

そう書いたまま、けっこうな月日が経ってしまいました。
何と続けるつもりだったかすら、もう忘れてしまって。

あのあと母は、要介護2からいきなり4へ。
日中はデイサービス、朝および夕方以降は、自宅で家族による「全介助」です。
高齢病弱家族(父90・私61糖尿病・妹56膠原病)で、綱渡り生活で今日までやってきました。

「誰か一人でも倒れたら、わが家は終わりだね」
そんなことを言っているうち、よりによって糖尿病の私に、新たなる試練が。
「前立腺がんの可能性大」。

緩徐進行一型糖尿病発症時は、HbA1cの基準値5.5%以下、6.5%以上は糖尿病型なのに、なんと私は13.5もあり2週間の入院。
この闘病ブログは、そのときに起ち上げたものだったのですが…。

今回は前立腺がんの腫瘍マーカーPSAの基準値が、一般に「4.0ng/mL以下」(50~64歳で3.0ng/mL以下、65~69歳で3.5ng/mL以下、70歳以上で4.0ng/mL以下が推奨)なのに、どういうわけか私は「10.29ng/mL」!
即刻「生検」(組織採取検査)のため、MRI不要の手術入院となりました。

NHK「今日の健康」によると、日本人のためのガン予防法」の7項目は、禁煙・減酒(私は下戸)・減塩・バランスの取れた食事・適度な運動、適正体重の維持、感染症検査。
健康オタクの私は、すべてに当てはまります。

野菜たっぷり、高タンパク、低糖質、低脂肪、低カロリーの食事。
血糖値スパイク対策で、毎食後の筋トレやウォーキング。
週2〜3回のジム通いと、週1回は空手のオンラインクラス。

これだけ節制して、なぜ糖尿病やガンに悩まされるのか不思議です。
幼少期から病弱で、健康的な生活を心がけても、還暦過ぎたら病気のデパート。
やはり離婚のストレスと、それに伴う睡眠不足が原因なのでしょうか。

人生は努力より、「運」なのかもしれません。

介護で自分の病気どころではなくなりました

6月に母が硬膜下血腫で、緊急の開頭手術となりました。
リハビリも含め、1週間から10日間の入院予定でしたが、なんと4日目には緊急退院。
もともと認知症などで要介護2でしたが、術後に症状が急速に進み、一口も食事をしないので、自宅に戻した方がよかろうとの医師の判断でした。

その後1ヶ月間は、「壮絶」「地獄」と聞かされてた自宅介護の日々でした。
自分の親とはいえ、まったく歩けない人間の食事・入浴・排泄の世話をして、行動や機嫌にまで気が抜けない生活。
夜中に何度も呼出しベルで起こされ、意味不明のせん妄につき合い、トイレに運び、寝かしつけることのくり返し。

トータル3~4時間しか眠れず、ウトウトした瞬間に起こされ続け、ほとんど拷問状態でした。

ある日、たしか深夜5回目くらいの呼び出しで、2階から階段を降りる途中に転げ落ち、頭部を強打。
それまでの記憶がないので、たぶん頭は眠ったまま、体だけ動いていたのでしょう。
自分が救急車で搬送され、CT撮影で脳内出血がなかったので入院せず、明け方4時頃にタクシーで帰宅。

ちなみに自宅前に停車した救急車の中では、隊員さんが市内の脳神経外科に電話をかけまくっても、30分近くたらい回し。
くも膜下出血脳梗塞、大動脈瘤破裂だったら、間違いなく死ぬか障害が残るな、と身震いしました。
これが緊急医療の現実であり、自分の身は自分で守るしかないと、改めて実感しました。

「自宅介護は絶対無理。共倒れを避けるためにも、施設に入れるべき」
相談した経験者たちからは、100%そのように強く、くり返し言われました。
しかし、ケアマネジャーに近辺での予約をお願いすると、いずれも断られてしまいました。
理由は、(1) 寝たきりならいいが、中途半端に動く人は責任が持てない、(2) 満室ですでに数十人(死亡?)待ち、(3
) 空室はあるが、人手不足で手が回らない。

それではと病院付属の認知症患者の入院施設をあたると、やはり満室で入れない。
ショートステイ制度で母に泊まってもらい、家族(90歳の父と膠原病の妹)の負担軽減はどうか。
・・・すべて満室。
親の介護に疲れ果て、悲劇的な事件がいくつも起きましたが、少なくともその気持ちは理解できます。

救われたのは、ケアマネに紹介されたデイサービスと、かかりつけの医師に紹介状を書いてもらった病院の精神科。
デイは平日毎日で、母のようなタイプでも「任せてください」と言われ、「地獄に仏」とはまさにこのことでした。
これで、かなり心配した父の「介護うつ状態」が少し改善。

精神科では、母の症状と疲弊した家族の深刻な様子を見た医師から、入院を提案されました。
並行して、母の症状を抑える薬を処方してもらいました。
認知症の場合、単なる睡眠剤を飲ませると、深夜のせん妄が酷くなるケースがあるらしい。
これが少しずつ功を奏して、最近やっと、妹と私の睡眠が最低限確保されるようになりました。

(つづく)

血糖コントロールを頑張る同士たちへ

「血糖コントロールを頑張る同士たちへ愛をこめて」
ある糖尿病専門医の著書に書かれた言葉に目が留まり、しばらく読み進めませんでした。
この女医さんは11歳で1型糖尿病と診断され、もう30年以上も毎日4回のインスリン注射と血糖値測定を続けているそうです。

前々回、私の一日の食事と運動の流れを紹介しましたが、決して楽しんでやっているわけではありません。
毎食後に運動するのは面倒だし、忙しさにかまけて忘れそうになることもあります。
一定期間なら頑張れても、これが一生となると、とても続けられるとは思えません。

実際、緩徐進行1型糖尿病の場合、食事や運動で効果が出るのは初期の段階だけ。
そのうちすい臓のインスリンが枯渇し、インスリン注射に依存するしかありません。
結果が見えているのなら、最初から努力しても無駄ではないか、とさえ思えてきます。

明日が退院後初の外来受診ですが、これがこの先毎月、死ぬまで続くわけです。
まるで受験生が、遊ぶのを我慢して日々勉強に追われ、毎月模試を受けるようなもの。
それでいて大学入試に合格し、これで晴れて自由の身、となる日は来ないのです。

「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」(滝瓢水/江戸時代の俳人

これから海に入る海女さんたちが、雨が降ってきたので、蓑を着る情景です。
「どうせ」濡れるのだけれど、「だからこそ」いま自分の体を大切に扱う所作。
もうやっていられない、という気持ちを抑え、自己管理を続けようと思います。

感謝の気持ちで「墓じまい」を考えます

今年最後の月になった今日、墓参りに行ってきました。
父方と母方の2つの墓がある、広大な市営墓地です。
猛暑が続いた影響か、まだ秋のような涼風が、ススキを揺らしています。

「こうして眺めると、みんな死んでしまうんだねえ」
足もとのおぼつかない母が、ため息をつきながらつぶやきました。
母は3年前に弟をがんで突然失い、いまだ立ち直れずにいます。

うちの家系には跡継ぎがいないので、私の代で途絶えることになります。
父には申し訳ない気持ちですが、いよいよ「墓じまい」を考えねばなりません。
母の言う通り、何事もいつかは終わりがくるので、清々しく生きようと思います。

父は間もなく90歳、母は要介護、妹は指定難病、私もまた不治の病をかかえました。
人生は幸不幸のくり返しですが、高齢者4人で協力し合い、なんとか暮らしています。
全員が無事?この世を去るまで、前向きに楽しむことを忘れず、支えていく覚悟です。